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1999年11月に行われた嘘対決(嘘競演 対 嘘特訓)の参加作品です。
参加作品
モントリオール療法
おばあちゃんの民間療法
鳩サブレー止血法【没ネタ】

ネタ以外
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ヴォードレール療法
人々がヴォードレール詩集を小脇に抱え、眉間にしわを寄せながら、ぶつぶつ呟いている。1960年代の大学文学部キャンパスを思い起こさせる光景だが、そうではない。ここは民間ガン治療施設「悪の華」。そしてここにいる人たちは全て末期のガン患者なのだ。
「会話の中にできるだけ多くヴォードレールの詩を引用する。それがヴォードレール療法の全てです。たったそれだけのことでほとんどのガンは縮小傾向にむかいます。」
と「悪の華」院長の来栖洋次院長は言う。今回、院長の許可を得て、患者にインタビューする機会を得た。

宮島豊次郎さん(70)、彼は昨年末胃ガンと診断され、様々な病院で回復の見込みがないと宣告された後、「悪の華」に来たという。
「正に見捨てられた気持ちでした。「死」がやつて来て、新しい太陽のやうに天に昇つて、つまり、僕は死んでゐた、驚きもなしに、怖しい夜明けの光が僕を包んでいた!!」
宮島さんはヴォードレール療法を初めてから奇跡的に回復し、今では通常の食事もとれるほどになった。宮島さんは満面の笑みを浮かべてこう言う。

「やはり、自分が好きなモノが食べられると言うのは良いですね。夜光の珠の杯よ、味の良いパンよ、口当たりのいい食べ物よ、おぉ、美酒よ、僕のフランシスカよ!」
一瞬、フランシスカが誰だかわからずに戸惑ったがそれも詩の出てくる人物だろうと理解した。今、目の前で昼食を平らげる宮島さんを見る限り、たった一年前まで現代医学が見放したほどの悪性のガンだったとはとても信じがたい。自分を見捨てた現代医学についてどう思いますか?と宮島さんに水を向けると
「保身ばかり考える怠惰な馬鹿医者め!地獄へめがけ飛び込んで行く!よろこんで、僕も一緒に行き度いが、その恐ろしいスピードが少々僕の気にかかる。だから独りで地獄へ行きな!殺人の悪鬼よ、無惨なるおん身が口の中空に、吹き散じるは、我が脳漿よ、血よ、肉よ!」
すさまじい剣幕に押された私は、早々に退散し、他の患者へのインタビューを試みる事にした。背を向けた私に宮島さんが語りかける。
「また、いらして下さい。ここでは様々な患者さんがガンと戦っています。我は、君に捧げまいらせんかな、火が燃ゆるこころの我が詩を、数知れず夢抱き給う白き面の人よ。」
今までと違う詩風に気づき、振り返ると、宮島さんは笑顔で答えた。
「お気づきになりましたか。私はウィリアム・バトラー・イェイツ療法もやっていますのでね。たまにはケルトの風も良いものです。」
前述の来栖院長によればこうだ。
「ヴォードレールばかりが効くのではありません。イェイツは内臓全般に効きますし、リルケは呼吸器系に効果があります。ですが、どんな詩でも効くというものではありません。三代目魚武濱田成夫を口ずさんだとたん、下痢が止まらなくなってしまった患者さんもいらっしゃいますから(笑い)」
続いて、2年前子宮ガンと診断され、回復の見込みが無いされていながら、「悪の華」でヴォードレール療法を実践するうち、日常生活を送るまでに回復した主婦、福島綾子さんにインタビューをすることになった。すでに福島さんは退院をしており、福島さんの自宅へとおもむいてのインタビューとなった。

私が福島さんの家に着いたとき、彼女は丁度、買い物に出かける途中であった。

「あら、アナタが院長先生の仰っていた方ですね。外を歩きながらのお話でもよろしいでしょうか?いざ、我等、船出をしよう、「死」の海へ!」
やや不吉な誘い文句に気圧されて、商店街へ歩きながらのインタビューとなった。ヴォードレール療法が絶大な効果を持つことは理解できたが、未だに一片の胡散臭さを感じていた私は素直にその疑問を福島さんにぶつけてみることにした。

「確かに、最初はヴォードレールなんて全く知りませんでしたし。疑いがなかったと言っては嘘になります。でも、ほら、光よ、色よ、暮らしのシベリアの烈火の火炎の爆破よ!先刻承知だよ!――色褪せた雛菊よ!」
そういって、福島さんは、路傍に咲いた雛菊を愛でていた。ヴォードレール療法は胡散臭いが確かに効果がある。最もらしいが効果の薄い現代医学とは対極に位置する。果たしてどちらを選ぶべきだろうか?患者の立場からすればもちろん前者であろう。

やがて、私達は駅前の日の出商店街に入った。

ソバ屋のおばさんが福島さんにあいさつをする。
「福島さん、こんにちは。もう体の方は良いんですか?」
「えぇ、もうすっかり。黙せかし、心なの君!憂い知らぬ魂よ!」
なんだか失礼な挨拶だがソバ屋のおばさんは喜んでいるようだ。退院して以来、いままで地味だった福島さんは名物主婦として有名になった。公園などに行くと子供達に囲まれ詩をせがまれることもあるという。

福島さんは困惑した表情でこう言う。
「『哀れな餓鬼めら!』とか言って追い払おうとするんですけど、かえって喜んじゃって…(笑い)子供ってホントにタフですよね。」
そうこうしているうちに商店街の中心部、福島さんが立ち止まった。買い物をするようだ。

「じゃあ、その大根くださいな、哀れなる有耶無耶卿の如き八百屋さん。そう、そしそこの魚屋さん!きみらは両者ともに、暗くて、言少なだ。人よ。きみの深遠さの底は、誰も測りえない。海よ。きみの内なる豊かさは、誰も知りえない。それほどにも、秘密を護るのに固執して!」

「はいよ、大根ね。」
「それじゃあ、なんの魚なのかわからないよ!奥さん!」

八百屋さんも魚屋さんも笑顔でうけ答える。みんな福島さんのことが大好きなのだ。

私はこのインタビューを通して民間療法の究極の姿を見たのだと思う。
周囲の人々が治療を理解し、患者本人のみならず、周囲もまた癒やされる。
それは現代医学ではとうてい及びもつかないような、本当の意味での「癒やし」なのではないだろうか。
世界中のガン患者がヴォードレール詩集を片手に本来の生活空間でコミニュケーションできる…そんな未来図が私の胸の中に浮かんだ。


嘘競演参加作品・お題「民間療法」
1999年11月開催

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