天才醤油少女カオリ
■ストーリー

第3部 聖地探索編
  三の鍵〜醤林寺

 醤油世界最高峰の醤林寺だけあって色々とむちゃくちゃでした。


「深奥!醤林寺…その1」

中国は河南省、渓谷の深奥にあると言われる醤林寺――――――――――!

醤油士ならば誰でも一度はその場に足を踏み入れることを望む伝説の地。
だが、醤林寺に足を踏み入れたものは世界にも数えるほどしかいないといわれる…

  カオリはその醤林寺の門の前で途方にくれていた。
  渓谷の合間に位置する門は学校の校舎よりも高い黒い石の壁。どこにも扉などない。 しかし、その壁には確かに「醤林寺」と力強い書体で大きくその名が刻まれている。 なんとも人を食った門だ。

その門の前には、浮浪者同然の醤油士が3人暮らしていた。
目に生気の無い三人は口々に言う。
「醤林寺に来たものの何年もこの門を越えられなくて…誰かが迎えにきてくれるのを待っているんだ…」
「君みたいな子が一緒に待ってくれるのなら、待ち甲斐があるなぁ…うへへ」
「それはいいなぁ…」

「あんた達みたいな負け犬と一緒に時間をつぶすなんてごめんだねっ!」
というが早いかカオリは自らの足元に飛醤油ボードを形成し、壁を越えようとする。 しかし、壁に近づくと飛醤油の浮力が落ちてしまう。

「ど…どういうこと?」
カオリが不思議に思い着地すると同時に後ろから何ものかが飛んでくる気配があった。
カオリはとっさに体を伏せる。

渓谷に高い音が鳴り響き、石の壁に高速の醤油弾がマシンガンの如く突き当たる。 数十秒にわたる醤油の飛礫。醤油は壁に当たると蒸発し、 あたりに醤油のこげる香りが立ち込める。 醤油の飛礫が一段落すると、醤油の霧を破って、石の壁が再び姿をあらわす。 石の壁には全く傷がついていない。

「ふん…対醤油フィールドが形成されているって訳か…この門をつくったヤツは醤油の飛行原理を知っているらしいな…」
醤油の霧に立つ黒い男。彼の名はサブソニック・ポポフ!


 
「深奥!醤林寺…その2」

「また会ったな…」
「生きていたの!?」
カオリはポポフの生存に驚きを隠せない。

「小娘…貴様もやはり醤油の鍵を…まぁ良い。デヴィッドの鍵を取り戻すまで貴様にかまっている暇は無い」
実はカオリが鍵を2つ持っている等とは思いもしないポポフは一人で呟く。

「さて、まずはこの壁を越えるか」
「どうすんのさ。飛醤油で上も超えられないし、醤油弾も通じないよ」
「歩いて渡るまでだ」
と呟くとポポフはふわりと宙に浮いた。

「フライングサーカス!」

ポポフから出た無数の亜音速醤油が螺旋を描いたかと思うと音速醤油は狂えるヘビの如く、周囲の渓谷の壁に突き刺さる。 見る見るうちに渓谷の壁面にひびが入り、壁の土が削り取られる。 削り取られた土砂は門の前に積もり、その量を増してゆく。

  亜音速醤油は土砂を削ってなおその威力を弱めず、次々と壁にぶち当たり、 3人の負け犬とカオリの上にも容赦なく土砂が降り注ぐ。

「うわーーーっ」
慌てふためく3人の負け犬達。だが逃げ場は無い。カオリは飛醤油でかろうじて空に逃げる。

亜音速醤油の勢いは更に増し、周囲は轟音に包まれる。 そして亜音速醤油の狂乱の宴は終わった。 見れば、渓谷の土砂は門の高さまで積もり、もはや門の意味は無い。 そして、土砂の下には三人の負け犬醤油士達が…

「ひ、ひどい…」
さすがのカオリもポポフをなじる。

「奴らはここで命つきるまで待つつもりだったのだろう…むしろ待つ時間が短くなったことを感謝して欲しいものだ」
そういうとポポフは門の上を歩いて渡り、門の向こうへと姿を消していった。

「あ、ちょっと!待ってよ!」
カオリは土の下の三人を忘れたかのように、ポポフを追いかけて、門を超えていった。


 
「深奥!醤林寺…その3」

門の向こうには竹林が広がる。 その中には一本の小道。
小道を駈けるポポフ。それを追いかけるカオリ。

「あんたさぁ、なんで醤油に乗っていかないの?」
「………」
「ねぇ!」
「これだけ竹が密集しているところではな…それに…この気配…」

そして密林が開けた。50メートル四方の広い空間。
かすかに竹林の合間から何かの声が聞こえる。

「いるな…」
「え、何?」

グルルルルゥゥゥゥ…それは紛れも無く獣の声だった。
そして現れたのは虎。2mもの茶色い虎…2匹の獲物を見つけ獰猛な牙が怪しく光る。

「醤油獣…『醤虎』か!」
ポポフが驚愕する。

虎はポポフをめがけ襲い掛かる。 虎の牙を避け横に転がるポポフ。 虎は着地し、戦闘体制を整える。見ればその牙からぽたぽたと液が滴り落ちている… その液は間違いなく醤油だった。面が虎からたれた醤油で濡れる。 濃口醤油だ。

「醤油獣?」
カオリははじめて聞く言葉に驚く。

「醤油自体が生命をもった獣…話には聞いていたが実在するとは…面白い」
ポポフはマントを地面に捨て去ると、半身に構え虎に向き合う。
「宇宙醤油兵士対醤油獣。世界で一番くだらねぇカードだ…が…小娘よく見とけ!」

軽く体をゆするポポフ。 醤虎は大地を蹴りポポフに再び襲い掛かる。 ポポフはそれより数瞬早く、踏み込み姿勢を低くとった。 天を突く強力なアッパー。その軌道は醤虎の顎を確かにとらえた。
が、ポポフの拳は醤虎の頭を突き抜けてしまう。

「な…!」

ポポフは驚き、飛び下がる。醤油で出来た醤油獣に拳が効くはずもなかったのだ。
恐るべきは醤油生命体『醤虎』。ポポフとカオリはいかにして醤油獣に立ち向かうのか!?


 
「深奥!醤林寺…その4」

突如として出現した醤油獣『醤虎』
ポポフの拳も効かぬその猛獣にカオリとポポフは窮地に立たされる

「おい、小娘。」
「え、あぁ」
いきなりの戦闘にあっけにとられていたカオリは生返事で返す。

「俺は今から向こうに回る。合図をしたら、飛醤油をありったけあいつにぶち込め」
「え?」
「共同戦線だ。醤虎を倒さなければ醤王には会えまい」
「…わかった、やってみる」

ポポフが亜音速醤油のボードに乗り、空き地の反対側に回る。 醤虎はカオリとポポフに挟まれた。 ポポフが指を鳴らす。

「喰らえ!亜音速醤油!」
「溜家秘伝!風の巻!飛醤油!」

二人の醤油士の無数の醤油が空を飛び交い、醤虎に収束する。 醤虎の絶叫が響き渡る。

「やったか?」

だが醤虎は何のダメージも無いばかりかその体は以前にもまして大きくなっていた。 打ち込まれた醤油全てを取り込んだのだ。

「くっ…」
ポポフとカオリは顔色をなくす。 絶体絶命のピンチ!

そこに竹林にそぐわない紺のスーツの男が現れた。

「全く…二人とも力押ししか能がないのかい?」

そう言って前髪をかきあげる男…彼こそキッチョーアンCEOデヴィッド・キッチョーアン!
「さて、時間が貴重だ…眠ってもらうよ…I'll show you !」


 
「深奥!醤林寺…その5」

「デヴィッド!来てたの!?!」
カオリは安堵の声を上げる。

「キッチョーアン!貴様どうやって!?!」
吼えるポポフ。

「なに、あそこからさ。」
上を指差すデヴィッド。空を見上げるカオリとポポフははるか上空を飛ぶ飛行機の姿を見た。

「我がキッチョーアンが誇る空飛ぶ醤油蔵、タマリビシオ・ワンだ。誰かさんに壊されたんがようやく直ったよ。まあ、再開の挨拶はおいておいてくれ。今はそちらの先客をもてなすので精一杯だ」

醤虎は新たな敵デヴィッドに焦点を合わせ唸り声を上げた。 その体躯はカオリとポポフの醤油を吸収し、3メートルになっていようか。 デヴィッドは涼しげに醤虎に向き直る。

  醤虎が姿勢を低くとる。バネを活かしてデヴィッドに襲い掛かるつもりだ。 かたやデヴィッドはゆっくりとスーツの懐に手を伸ばす。

 醤虎は空高く飛び上がる。デヴィッドは懐から赤い切り身を取り出す。 マグロのサク(切り身)だ。デヴィッドはマグロのサク(切り身)を空に投げる。赤いマグロのサク(切り身)はくるくると宙を舞う。

 醤虎は空中で方向転換をするとマグロをくわえた。醤虎が幸せそうな笑みを浮かべたかと思うとその形は崩れ始めた。 そして醤虎を形成していた醤油が地面に降り注ぐ。 醤虎は普通の醤油に還ったのだ。

「醤油士の業が作り出せし生命体。生を望まれぬ醤油ゆえにいかなる醤油よりも醤油として使われることを欲する…それが醤油獣だ。」
デヴィッドは哀しげに呟いた。

「デヴィッド…凄い…」
「なにこれで3匹目だからね」

「借りが出来たな…キッチョーアン。だが俺の貸しの方が重いぞ!」
ポポフは休息の間もなくデヴィッドに襲い掛かる。

「良いのかい?ポポフ。帰れなくなっても?」
「なに!?」
「周りを見てみろ」
あたりを見回すとあったはずの竹林が姿を消し、代わりにどこまでも茶色い平らな地平が続いている。 上にあるはずの空はなくどこまでの白い空間が広がっていた。

「醤林寺を護る最後の封印『醤油陣』、抜けられなければ死あるのみだ…」


 
「深奥!醤林寺…その6」
「醤油陣!?」カオリは驚きの声を上げる。
「醤林寺は幾重もの封印がしかけてある。封醤門、醤油獣、そしてこの醤油陣だ。」
ポポフに胸ぐらをつかまれたまま平然と答えるデヴィッド。

「貴様知っていたのか!」
「どこまでも続く亜空間…フフフ…このままでは3人とものたれ死ぬだけだ。ハハハハハ…」
デヴィッドはさもおかしそうに言う。

「何がおかしい!」ポポフは怒りをあらわにする。
「フフフフ…これだけ厳重に護られている…それは醤林寺にとてつもない秘密が隠されているということに他ならない!ここは人類にとって本当の宝の地だということだ!」

「フン…!そこでみていろ」
ポポフはデヴィッドを突き飛ばすと足元に亜音速醤油でボードを形成しようとする、
が、亜音速醤油はポポフの醤油入れから出るなり、地面にこぼれ落ちてしまう。
この空間では醤油が浮かばないのだ!

「これは…!」
「この空間全体に対醤油フィールドが形成されている。無駄だよ。ポポフ」

「くそっ!」
醤油ビンを投げ捨て、走っていこうとするポポフの背中にデヴィッドは語る
「走って抜け出ようとしても無駄に体力を消耗するだけだ。やめておけ。」

立て続けの展開に右往左往するばかりのカオリがふと天を見上げる。
そして、地面を見て、カオリは叫ぶ。
「わかった!」

カオリはポポフが投げ捨てた醤油ビンを壊し、地面に撒き始めた。
「何をする!」
ポポフが叫ぶ。

「たぶん…こうすると…」
カオリが醤油を撒くにつれ、周囲の白い空と茶色い地平がおぼろげになっていく。
カオリが醤油を撒ききった時点で亜空間は消え去ってしまった。
見れば、周囲は以前いた竹林のまま。

地面には醤油で不可思議な魔方陣のような模様が書かれていた。
それが、カオリが撒いた醤油でその模様がかき消されてしまったのだ。

「なんだ…これは?」戸惑うポポフ
「亜空間…ってことは別の世界でしょ?光だってあるわけ無いじゃない。
光が無ければ色も影も見えない。でも色も影もあった。
ってことは、そんな空間は本当はないってわけ。幻覚だよ。」
めずらしく解説をするカオリ。

「見てみろポポフ。醤虎の骸が曼荼羅を描いて、我々に幻覚を見せていただけだ。醤油曼荼羅。醤虎の飼い主のいたずらだよ。」

「その通りです。以醤征醤。醤油を以って醤油を征す。よくぞ醤林寺入門の試練を乗り越えました。」
ふと気づくと屈強な二人の僧が音も無く竹林の合間に立っていた。
「ようこそ。お三方、醤王がお待ちです」


 
「深奥!醤林寺…その7」

三人は醤林寺の中心部に通された。
寺の名にふさわしい荘厳な建物が並んでいる。
その前にはいかにも修行僧と言った面持ちのものから異形の怪人まで様様だ。
おそらくここにいる全員が名うての醤油士なのだろう。
強者のみが持つ独特の緊張感が漂っている。

「醤王様。参られました」

二人の僧のうち背の高い方が大声を上げると、正面の扉がギィと開いて
醤王とおぼしき人物が現れる。恰幅の良い老人だ。

醤王は目を細めて、三人の姿を値踏みするかのように見る。
鋭い眼光にカオリ達はじっと黙ったままだ。

やがて意を決してデヴィッドが口を開く。
「醤王様、醤油合…」
「ねぇ。お爺さん。醤油の鍵持ってるんでしょ。それちょうだいよ」
いきなり横からさえぎるカオリ。

「せっかちじゃのう。これであろう?」
醤王は懐から鍵を取り出す。

その瞬間、ビッ!と空気を裂いて醤油が醤王に飛ぶ。ポポフの亜音速醤油だ。
だが、亜音速醤油は醤王の手前で消え去ってしまった。

「消えた!?」ポポフは驚きの声をあげる。
「ずいぶんと礼儀知らずじゃのう」
醤王は平然と答えた。

自慢の亜音速醤油が消え去ったことにポポフは動揺した。しかし、ひるまず亜音速醤油を連続で発射する。醤王に亜音速醤油が矢のように降り注ぐ。だが、醤王の体は全く傷ついていない。

ポポフもこの異常な事態に気づき、亜音速醤油の攻撃をやめる。
見れば、醤王の両手には小皿があり、小皿の中には醤油が蓄えられている。
醤王は超高速で小皿を動かし、亜音速醤油を受け止めていたのだ。

醤王は余裕の笑みを浮かべると両の小皿から醤油を口に流し込む。
「ふむ。まあ、普通の醤油だな」

「お…俺の亜音速醤油が飲まれるとは…」
「ほほほ。なかなかうまかったぞ。」
あれほどの超人的な動きをしたのに息もあらげることなく、醤王は言ってのける。
何人にも飲めぬ亜音速醤油を誇りにしてきたポポフ。
その誇りが汚されたのだ。ポポフの怒りは計り知れない。


 
「深奥!醤林寺…その8」

ポポフは醤油入れを振り回し、醤油の滴を空中に撒き散らす。

「ならば、これでどうだ!醤油重力崩壊!」
新宿駅で炸裂したこの技が、醤王に向かって放たれる。
自分のまわりで回転する無数の醤油を珍しそうに眺める醤王。
「変わった醤油じゃのう」
「死ねいっ!!!」

無数の醤油が醤王に向かって収束する。
が、やはり醤王に触れようかというその瞬間、醤王は腕をひと振りする。

その一瞬で醤王は自らに落ちてくる全ての醤油を器に受け止めていた。
「・・・!」ポポフは声も出ない。
「遅い遅い。ほれ返すぞ。」

醤王は醤油を受け止めた小皿を振る。すると、小皿の中からひとかたまりの醤油がとてつもない速度でポポフの方に投げ出された。
とっさにかわすポポフ、その頬から一筋の血が流れ落ちた。
醤油の飛跡が真空状態になり、周囲につむじ風が舞う。
「なんという速度…」
ポポフの額に冷や汗が伝う。

あまりのスピード戦に、カオリらは声も出ない。
「ねぇ、デヴィッド。今の見えるの?」
カオリはデヴィッドに不安そうに訪ねる。
「醤王の醤油は銃弾より速い。肉眼じゃ見えないね。まあ、醤油の気配を感じることはできるが、よけるのは無理だ。あんなものが当たったら、頭はこなごなだね。」
「ふぅん」何が起きているのかさっぱり分からないカオリは不満げだ。

「ほほ、これをかわせるとは、流石は宇宙醤油戦士じゃな。だが、これならどうかな?」
醤王の手には醤油色の玉が握られている。原理は不明だが、醤油が固形化したものなのであろう。

「ほれ」
高速の醤油玉がポポフに向かって飛ぶ。

「前と同じ速度…かわせる!」
醤油知覚により、速度を測定。軌道演算を瞬時に完了させたポポフは確信をもって攻撃をかわそうとする。しかし、なぜか動けない。

「グフッ!」

ポポフはそのまま醤油玉をみぞおちに喰らい、崩れ落ちる。
ポポフの背後には醤王の姿があった。なんと醤王は自らが発射した醤油玉よりも速くポポフの背後に回り込み、ポポフの四肢をからめ取り動きを封じていたのだ。

「醤油が速く動くだけではだめだ。自らも速く動く。いや、空間や時間に縛られた
速度という概念をも超越する。これが真の醤油力。と、もう聞こえてはおらんな」

醤王の足下に、気絶したポポフが転がる。

「さて、この哀れな宇宙醤油戦士は失格かな。次はどちらかな?」

底知れない醤王の力、デヴィッドとカオリは醤王を倒せるのか!?


 
「深奥!醤林寺…その9」

「では続いては私が挑戦させていただきます」
珍しく慇懃にデヴィッドはずいと前に出る。
「ふむ。参られよ」あくまでも自然体の醤王だ。

デヴィッドは腰から鉄板を取り出し、自分の前に置く。
デヴィッドが鉄板脇のスイッチを入れると、鉄板は赤熱し始めた。

「なにやってんの?」
「カオリ。鼻をふさいでいろ。」

そう言うと、デヴィッドは懐から何かを取り出した。

牛肉だ。

霜がまんべんなくふった見事な最高級牛肉。
デヴィッドはその牛肉を、赤熱した鉄板の上に置く。
肉の焼ける香ばしい匂いが当たりに立ち込める。

デヴィッドは懐から瓶を取り出した。瓶がくるくると回る。
無駄の無い流れるような手つきで、蓋を開ける。
醤油の滴が焼けた牛肉にしたたる。

「牛肉・ザ・マグナム!」

デヴィッドの掛け声と共に、熱せられた牛肉と鉄板にこぼれ落ちた醤油が焦げ、蒸発し、凄まじく香ばしい匂いが弾丸のように放たれた。醤林寺は身も震えんばかりの香ばしさで包まれた。

「なんて…うまそうな…」
今まで冷静だった周囲の修行僧も、正気を失ったかのようにデヴィッドの牛肉に向かってふらふらと歩き出す。

カオリは修行僧の異変に驚き、鼻をふさいでいた手を離してしまう。カオリは頭がぼうっとしてくるのを感じた。あまりに美味な香りのため、脳が麻痺しているのだ。

そして醤王もまたデヴィッドに向かって歩き出した。醤王もまた香ばしさに惹かれたのか。

「香ばしい醤油の香りを持って人を極楽へといざなう、牛肉・ザ・マグナム!醤王敗れたり!」


 
「深奥!醤林寺…その10」

醤王が腕をかすかに動かしたかと思うと、その左手にはデヴィッドが持っていたはずのケルベロス・ソイソースの醤油瓶が握られていた。そしてケルベロス・ソイソースを一なめしてデヴィッドの目を見る。

「ふむ…ケルベロス・ソイソース…見事な醤油だが、おぬしほどの腕前ならこれよりも上の醤油があろう?」

デヴィッドの顔色が変わる。

「そう、例えば、このウロボロス・ソイソースのような…」
醤王が右手を上げるとそこには金色の瓶が握られていた。

「いつの間に…!!」
デヴィッドが驚く。それこそはデヴィッドの最大醤油ウロボロス・ソイソース!

「だが、うますぎる醤油は食材そのものを壊しかねない。香りの相乗効果も得られない…それを恐れたお主は格下のケルベロス・ソイソースを使った…そうであろう?」
醤王の指摘にデヴィッドは二の句が告げない。

「デヴィッドよ!醤油を活かすのは、醤油自身と知れい!」
醤王は一喝し、金色の瓶のフタを開け、まるで精密機械を作り上げるように、繊細な手つきで牛肉に醤油をかけ始めた。

牛肉にかけられた醤油は細胞の一つ一つまで染み入り、更なる香ばしさをかもし出す。
デヴィッドの香りが鈍器とすれば、醤王のそれは名刀だった。
その香ばしさは「うまそう」という感覚を超越した何かだった。

その未知の感覚に修行僧は恍惚とした表情を浮かべ、バタバタと倒れ、カオリも意識を失いかける。

気づけばデヴィッドは自らの前にあった牛肉をむさぼり食べていた。
あまりの香ばしさに耐えられなくなったのだ。

「ふぉふぉふぉ。うまかろう?これが真の醤油力。さて、キッチョーアンの総帥も失格かな。お嬢さん。お主の醤油を見せてもらおうかの?」
醤王はニヤリと笑ってカオリに向き直る。

デヴィッドの完全敗北。カオリは自分の目が信じられなかった。
だが、それでもカオリは醤王に立ち向かわなければならない!
カオリに勝機はあるのか?


 
「深奥!醤林寺…その11」

「お爺さん。私の醤油おいしかったら、鍵、頂戴ね」
醤王の圧倒的な力にひるみつつもカオリは前に出る。
「飛醤油」では勝ち目がないと悟ったカオリは、普通の醤油で挑戦することにした。
「よかろう。だが、負ければ鍵はわしがいただくぞ。ふぉふぉふぉ。」

醤林寺の修行僧が注視する中、カオリはかつて世界醤油選手権決勝戦で作った「緋走り醤油」を作り上げる。
火入れの緋がきれいに上がると修行僧たちの驚きの声がもれる。

「溜家秘醤油、緋走り醤油!どう?」
カオリは自信満々で緋走り醤油を醤王の前に差し出す。

醤王はカオリの差し出した小皿を受け取ると、目の高さに持ち上げた。
「ふぉふぉふぉ。本当の「緋」とはな…」

醤王はそう言うと、小皿を放り投げた。小皿から醤油がこぼれる。
カオリはあっけに取られつつも、醤油が描く放物線を眺める。
すると、醤油の放物線が白く光った。それと同時に、周囲は閃光と爆音に包まれた。

「キャーーーーーーーーーーーーーッ」
珍しくカオリが叫び声をあげる。

木々が揺れ、大地が避けるほどの轟音。それは火山の噴火を思わせるほどだった。
醤王以外の誰もが身の危険を感じ、身を伏せた。伏せた身の上に熱い水蒸気が立ち込める。
カオリが恐る恐る目を開けると目の前には直径10メートルの穴が出来ていた。

轟音で気絶していたデヴィッドが目を覚ます。
「これは…?何が…?」


 
「深奥!醤林寺…その12」

目覚めたデヴィッドが、クレーターに駆け寄ってを観察する。
「馬鹿な…土がガラス化している…」
カオリも穴の中をのぞく。黒く深い穴だ。
穴から熱い水蒸気がまだ噴出している。その底はまるで見えない。
「な…何これ?」
カオリは震えた声をあげる。

「わからないが…瞬間的に莫大な熱量が解放されたらしい。これも…醤王の力なのか。」
デヴィッドも流石に気おされている。

「醤油の意曰く、秘は緋にて火走る緋也…ふぉふぉふぉ。これぞ真の醤油力。」
醤王がつぶやく。

「それは…緋の巻!」
溜家秘伝の書の一説を朗読する醤王に驚くカオリ。

「真なる緋は、醤油に緋が走るのではない。醤油自身が緋と成って走るのじゃ。」
醤王はカオリに溜家の秘伝を講釈する。

「なんでお爺さんがそんなこと知ってんの!?」
詰め寄るカオリ。

「さぁて。約束通り、鍵はいただいたぞ」
醤王はカオリの詰問を無視して、手に持った2本の鍵をひらひら動かす。さっきまでカオリが持っていたはずの1の鍵と2の鍵だ。

「あっ…!」
二の句が告げないカオリ。いつもなら「返して!」と叫ぶところだが、いかにも相手が悪い。しかし、それでも何とか鍵を奪えないかと鍵を注視している。

「まだまだお主等に醤油合を任せるわけにはいかんのう。」
醤王はカオリの視線を気にもせず、鍵をもてあそんでいる。

「溜カオリ。デヴィッド・キッチョーアン。残りの鍵を二人で集めて来い。そして、この醤林寺に戻ってくるのじゃ。そのとき、お主達が醤油を継ぐに足るものか、判断するとしよう。よいな。」
醤王はひときわ厳かにそう宣言した。
なんとも一方的な宣言で、カオリとしては不本意だが、これだけの力量差を見せつけられてはいかんともしがたい。

やがてカオリの後ろにデヴィッドが近づく。
「カオリ。一緒に鍵を集めよう!二人で醤油合を完成させようじゃないか」
やたら陽気に話しかける。

「わかった。言うとおりにするよ。でも、鍵を集めてきたら…約束守ってよね!お爺さん!」
「うむ。がんばるが良い。」
「それと、その鍵、誰にも取られないでね!」
「ふぉふぉふぉ。わかった。大事に預かることにしよう。さて、お主等に良い事を教えよう。第4の鍵はタイにある。醤油十六戦士の護る鍵。見事受け取ってくるが良い。」

そして、デヴィッドとカオリは醤林寺を後にした。
残りの鍵を集めるために…

二人が去った後、醤王は夕日を見つめながら手の中で3本の鍵をもてあそんでいた。
甲高い音がハーモニーとなって周囲に響き渡る。鍵が共鳴しているのだ。その音は夕日の赤と相まって、どこか悲しげに聞こえた。

醤王は小さな声で呟いた。
「まだ醤油は求めていると言うのか…彼らが成す醤油合…いかなる未来を作るのか…」

醤王は夕日に背を向け、寺の中に入っていった。日が落ち、醤林寺が闇に包まれる。
そして醤林寺の庭にはポポフがいまだに気絶したままなのだった。


「深奥!醤林寺!…完」


 

天才醤油少女カオリtop | 「Dの嘘」top