嘘書籍探訪
『虫づくし』 著・別役 実
これを読まずに何を読む。
現代の奇蹟「づくしシリーズ」の代表作。

この本を読んだのは確か中学3年生の時。

笑った。笑った。笑いすぎて呼吸が苦しくなって、なお読むことを止められず、読んで、笑って、苦しくなって、読んで、笑った。これほど笑った本は他にない。

「虫づくし」は「序にかえて-虫は虫である」から始まる。

これは「郵便局の地下に住む虫に詳しい男が『虫に関するテーゼ』を追い求める話」だ。

 これだけではなにがなんだか分からないだろう。しかし、これが面白い。郵便局の地下に住む虫に詳しい男と筆者が、「虫とは?」ということを説明すべく、議論に明け暮れついに究極のテーゼを手に入れる。

 流麗な文と絶妙の間によって描かれるその光景が、痙攣的な笑いを引き起こす。正に一世の名文と言える文章だ。

非常に面白い文だが、これでさえまだ「序」に過ぎない。「虫づくし」とは虫に関する様々な事象を紹介し、それに関する考察を重ねた小文の集合体で、その数ざっと32。

そのいずれもが虚偽混沌抱腹絶倒奇怪無比幻惑無窮。どれをとってもおかしくて仕方が無い。

その一つ「なめくじについての考察」はこのような書き出しで始まる。

「なめくじに適量のヨウモトニックを振りかけると毛が生えてくる。これがけなめくじである。」

いきなり嘘だ。大体なめくじは虫じゃないだろう。
とつっこむ間もなく嘘が畳み掛けられる。

 「昭和49年6月18日、ヨウモトニックでは、これを超低速度カメラでとらえ、CMにしたてて全国に放映したが2時間後に警視庁からチェックされ、放送禁止となりフィルムはただちに没収されてしまった。表向きは誇大広告ということになっているのだが警視庁内部では猥褻物取締法違反に問えないかどうかを現在ひそかに検討中と言われている。」

 我々がよく見かける「嘘」による笑いというのは「笑ってしまうような状況の記述」による場合が多い。しかし、別役氏の場合はそれだけにとどまらない。

 まず、「笑ってしまうような状況」で畳み掛け、読者がひるんだ隙に(ひるまなくても)論理を縦横に展開させて「笑ってしまうような状況」によって巻き起こされる、さらに笑える状況を描き出す。虚に虚を重ねるわけだ。一般的な嘘を木造平屋の長屋だとするならば別役氏のそれは天を突く砂上の楼閣だ。この差は思いの外でかい。

 「なめくじについての考察」では「けなめくじ」を巡って、有名大学病院の医師が対立し、予算案席上の国家公安委員長が苦しみ、野党議員は吠え、アングラ派は当惑し、イグナチオ教会の神父は状況をたしなめ、新左翼系論客は近代的合理性を覆す視座を見出す。

 一見、手におえないような混乱に見えるが、この混乱は単なる混乱ではない。論理の下、正確に展開した混乱であり、これが笑いを引き起こす。これほどの論理の混乱を使いこなす人間を私は他に知らない。

 虚の事実に虚の論理を重ねるテクニック。それだけで身震いするほどだが、別役氏にはさらに「実の事実に虚の論理を重ねる」「虚の事実に実の論理を重ねる」「実の事実に実の論理を重ねる」という計4つのテクニックを自在に操り、「そもそも虚と実に分ける事自体なんの意味がないのでは」と思わせるもはやなんだかよくわからない境地に叩き込んでくれる。

 こう書くと高尚で難解な本かと思うがそうでもない。虚の事実も実の事実もあまりにくだらなく、虚の論理も実の論理もその精緻さゆえにくだらなさをかきたてる。
とにかく笑えるのだ。

 虫づくしには「なめくじ」以外にも、体内のさなだ虫を飼いならす「さなだ虫師」を巡って起こる大論争。冷戦時代の対立に巻き込まれる「ナンキン虫」。R大学実験神学部が行う「ハリガネムシの長さ」にまつわる研究。「ゲジゲジこそ完全存在だ」と狂喜してモンマルトルの下宿の窓から墜落するサルトル。などが収められており、どれをとっても損はしない名品ぞろい。この手のナンセンス、パロディ、パスティーシュ好きにはなにをおいてもおすすすめする一冊である。

ところで、私は先日、この文を書くために、電車の中で「蛾に関する考察」を読んで思わず笑ってしまった。今までに何十回、何百回と読んだ文章なのに。

なんてことだ。


書籍データ
書名 虫づくし   著者 別役 実
出版社 早川書房 ISBN 4-15-050143-2  
販売価格 505円(税抜)

 嘘 度:★★★★★
 笑 度:★★★★
 入手易度:2001年1月重刷のため入手容易

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